《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

     
第117回 女性のための正信偈しょうしんげ
天親菩薩てんじんぼさつの教え【1】」
更新 2021年5月

 20 天親菩薩てんじんぼさつの教え【1】
 

 「天親菩薩造論説てんじんぼさつぞうろんせつ
【天親菩薩 論を造りて説かく】
 「帰命無碍光如来きみょうむげこうにょらい
【無碍光如来に帰命したてまつる】
 「依修多羅顕真実えしゅたらけんしんじつ
【修多羅に依りて真実をあらわして】
 「光闡横超大誓願こうせんおうちょうだいせいがん
【横超の大誓願を光闡す】
 「広由本願力回向こうゆほんがんりきえこう
【ひろく本願の回向によりて】
 「為度群生彰一心いどぐんじょうしょういっしん
【群生を度せんがために一心をあらわす】
 

  龍樹菩薩りゅうじゅぼさつより おくれること約二百年、四世紀の初めに、 天親菩薩てんじんぼさつは北インドのバラモンの家に生まれました。
 初め小乗仏教を学び、大いに指導的役割を果たし、「大乗は釈尊の説かれたものではない」と 誹謗ひぼうすらしました。
 それで、実兄の無著菩薩は大いに心を痛め、病気ということで、弟の天親菩薩を呼ばれました。
 天親菩薩はすぐに見舞いにいきましたが、無著菩薩はいたって元気です。
 そこで、天親菩薩は、すこしむかっとして、「お兄さんは病気ではなかったのですか」と詰問しますと、無著菩薩は「病気だよ。確かに身体は このように元気だが、心が んでいるのだ。おまえが大乗を 誹謗ひぼうするので、私は心痛のあまり病気になったのだ」と話し、大乗の教えを 諄々じゅんじゅんと説きました。
 天親菩薩は、大乗仏教を 誹謗ひぼうした自らのあやまりに少し気づきはじめました。その日は兄・無著菩薩のところに泊まりました。
 深夜、人の声がします。目をさまして静かに聞いていた天親菩薩は 翻然ほんぜんとして大乗の教えの素晴らしさに気付きました。
 天親菩薩が聞いたのは、無著菩薩のお弟子の一人が、大乗経典を誦する声でありました。
 天親菩薩は直ちに大乗に帰するとともに、今まで大乗を 誹謗ひぼうしたことを大いに 懺悔ざんげし、大乗を 誹謗ひぼうした自らの舌を切ろうとしました。
 その時、兄の無著菩薩は、「舌を断ち切っても真の懺悔にはならない。本当にすまないと思うならば、その大乗を 誹謗ひぼうした舌で、大乗の教えを生命をかけて説いていくべきではないか」と さとしました。
 以後、天親菩薩は大乗の教えを 宣布せんぷすることに、生命をささげられました。
 天親菩薩は 龍樹菩薩りゅうじゅぼさつと同じく、沢山の書物を著し、「千部の論主」といわれています。
 なかでも 『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』 (親鸞聖人は「この経こそ私たち凡夫がすくわれていく真実の教えが説かれたものである」とおっしゃっています。)を味わわれ、
無量寿経優婆提舎願生偈むりょうじゅきょううばだいしゃがんしょうげ』 (略して『浄土論』を著し、まず自ら無量寿如来(阿弥陀如来)をよりどころに、生きることを表明されました。
 そして、 『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』によって、「真実とは何か」を明らかにしてくださいました。
 私たちも真実という言葉をよく口にしますが、あらためて、「真実とは何か」と問われると、なかなか答えられません。
 天親菩薩がおっしゃっている「真実」とは、一つには、時代が変わろうが、環境が変わろうが、どんなことがあっても変わらないもの。
 二つには、口約束・空手形ではなく、必ず実を結ぶもの、ということです。
 この世の中にそういうものがあるでしょうか。私たちの言葉や行動は、状況によって変わり、言葉だけに終わったり、実を結ばないものです。
 私たちは、信頼していた人の言葉に裏切られ、この人はと思う人の行動に落胆した経験が何度もあります。
 しかし そのことを裏返して考えれば、私たちもどれほど他人の信頼を裏切るようなことをいい、また行ってきたかということです。
 「確かに、他人の信頼を裏切るようなことをいったり、行ってきたかもしれないが、決して、初めから他人の信頼を裏切ろうと思ったことは一度もない」と、 いいたい人も多いでしょう。
 その通りです。他人を裏切るつもりは 露塵つゆちりほどもなくても、私たちは悲しいことですが、最後の最後まで、 他人の信頼にこたえきるだけの力がありません。 
 それで、結果としては他人を裏切ることになってしまうのです。
 天親菩薩は、どこまでも信頼にこたえ、どんなことがあっても裏切らない真実は、阿弥陀如来の「あなたを見捨てることがない」という本願である、 と明らかにしてくださいました。
 自分の思いを絶対のものとして、自分の小さな殻に閉じこもり、常に自己を忘れ、常に生きる方向を見失って、右往左往しているのが私たちです。
 こんな私たちが、この人生を ごまかすことなく、逃げることなく、一すじに お浄土まで生き抜く道は、「どんなことがあろうとも、私がいるではないか」 という阿弥陀如来の本願から はたらきかけてくださる「南無阿弥陀仏」に、すべてをまかせて生きる以外にはありません。
 どこどこまでも私たちを裏切ることのない真実・阿弥陀如来の本願・本願のはたらきである南無阿弥陀仏に、ただ一すじにまかせること(一心・信心)だけが、 私がこの人生を浄土まで生きる道であることを、自らを生きざまを通して教えてくださったのが、天親菩薩なのです。
 親鸞聖人は このことを、

 天親菩薩てんじんぼさつは一心に
 無碍光むげこう帰命きみょう
 本願力ほんがんりきじょうずれば
 報土ほうどにいたるとのべたもう
 (『高僧和讃』)

 と、たたえられています。





※『女性のための正信偈しょうしんげ』 
    藤田徹文ふじたてつぶん
本願寺出版社
電話 075-371-4171
 

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今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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