《 聖典の講座 》
 
『無常迅速 生死の事大なり』

  
第108回 女性のための正信偈しょうしんげ
「釈尊の本意ほんいい」
更新 2020年8月

 11 釈尊の本意ほんい
 

 「如来所以興出世にょらいしょいこうしゅっせ
【如来 世に興出したもうゆえは】
 「唯説弥陀本願海ゆいせつみだほんがんかい
【ただ弥陀の本願を説かんとなり】
 「五濁悪時群生海ごじょくあくじぐんじょうかい
【五濁悪時の群生海】
 「応信如来如実言おうしんにょらいにょじつごん
【如来如実のみことを信ずべし】

 「どんなことがあっても必ず救う」という 阿弥陀如来あみだにょらいの ご本願ほんがんは、
 第十七の願に、
  もし、わたくしが仏になるとき、 十方世界じっぽうせかいの数かぎりない 諸仏しょぶつが、ことごとく わたくしの名を ほめたたえぬようなら、わたくしは決してさとりを開きません。
 と誓われています。
 この お誓いの通り、全ての諸仏は、阿弥陀如来の み名をたたえ、 本願ほんがんの おこころを説かれるのです。
 この世に お生まれくださった釈尊の本意も、阿弥陀如来の ご本願を説くことにあります。
 釈尊の説法は 対機説法たいきせっぽうとか 随機開導ずいきかいどう応病与薬おうびょうよやくと いわれますように、相手の苦しみ・悩みに応じて みのりを説かれました。
 それで その教えの数は八万四千にもなりました。
 その釈尊が阿弥陀如来の ご本願を説くときは、常にも増して身が輝き、 普段ふだん様子ようすがちがい、 弟子でしたちにも一目でわかるぐらい嬉々としておられました。
 私たちもそうではないでしょうか。一番いいたいことを話すときには、自然に顔が輝くものです。
 阿弥陀如来の ご本願を説こうとされる釈尊を、弟子の 阿難尊者あなんそんじゃが、 世尊せそん、あなたは今日、御様子が格別うるわしくおわして、ちょうど 明鏡めいきょうきとおって見えるようでございます。
 そして、その みいず(頭)が この上もなく輝いておいでになります。
 わたくしは今日まで、こんな とうとい お姿を拝したことがございません。
   
        (聖典意訳『浄土三部経』)

 と、おどろいておられます。
 この阿難尊者の言葉に こたえて、釈尊は、

如来にょらい無上むじょう大悲だいひをもって迷いの 衆生しゅじょうあわれみたもうので、世に お出ましになって広く もろもろの教えを説かれるわけは、 衆生を救うために まことの 利益りやく本願ほんがん名号みょうごう】を恵みたいと おぼしめされるからである。
 と、おっしゃっています。
 ここで注意しなければならないのは、釈尊は自らを「如来は」といわれ、「わたくしは」と おっしゃっていないことです。
 「如来は」と いわれる こころは、「わたくしは」もちろんであるが、「本願の名号」を説くのは、すべての如来【諸仏】の本意であることを あきらかにしてくださったのです。

 では、なぜ釈尊はじめ諸仏は、阿弥陀如来の「本願の名号」を説くことを本意とされるのか といいますと、いつの時代であっても、すべての人が救われるみ法は 「本願の名号」以外にはないからです。
 特に 末法五濁まっぽうごじょくの時代の私たちが、この人生を力強く まっすぐに生き抜かせていただくには、 この釈尊を はじめとした諸仏がたの説いてくださる真実のみ教えに従う以外にないのです。
 末法まっぽうとは、 正法時代しょうほうじだい像法時代ぞうほうじだいに対して いわれる言葉であります。
 すなわち、釈尊の 滅後めつご、仏教が どのように人々の中に生きているかについての時代区分です。
 正法時代は、釈尊の教えがあり、それにしたがって修行する人があり、さとりをひらく人がいる時代です。
 像法時代とは、教えはあり、修行する人はあるが、さとりをひらく人がいない時代です。
 末法時代は、教えのみがあって、教えの通り修行する人もいないし、いわんや さとりをひらく人もいない時代です。
 そして、この末法において、発生する五つの汚れが 五濁ごじょくです。すなわち、
 
 1 飢饉ききん疫病えきびょうが ひろがり、戦争等が起こる時代的社会的汚れ。【劫濁】
 2 自分さえよければよいという見解や思想を もつようになる。【見濁】
 3 名利を求める心に ふり回され、欲望を つのり、怒りを ぶちまける。【煩悩濁】
 4 風紀が乱れ、心身ともに 人間の資質が低下する。【衆生濁】
 5 外の いろいろなものや、内なる煩悩に引きずり回されて、本当に自分を生きるということが短くなる。【命濁】

 の五つの汚れです。
 現代は まさに末法五濁の時代です。この現代に生きる私たちこそ、本当に、如来の真実の言葉に したがうことが、なによりも大切なことです。

 親鸞聖人しんらんしょうにんは、また、

 五濁悪時悪世界ごじょくあくじあくせかい
 濁悪邪見じょくあくじゃけん衆生しゅじょうには
 弥陀みだ名号みょうごうあたへてぞ 恒沙ごうじゃ諸仏しょぶつすすめたる

 
 五濁悪世ごじょくあくせのわれらこそ
 金剛こんごう信心しんじんばかりにて
 ながく 生死しょうじをすてはてて
 自然じねん浄土じょうどにいたるなれ
 
     (『浄土和讃』)
 

 と、よろこばれています。





※『女性のための正信偈しょうしんげ』 
    藤田徹文ふじたてつぶん
本願寺出版社
電話 075-371-4171
 

お経の本やCDや仏書の販売 西本願寺の本
本願寺出版社




今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


トップページへ   聖典講座に戻る   書庫をみる