☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第95回 山や川の自然もまた更新 2019年7月
          
 『一々いちいちのはなのなかよりは 三十六百千億さんじゅうろっぴゃくせんおく光明こうみょうてらして ほがらかに いたらぬところはさらになし』
             【「浄土和讃」】
 三月は、さまざまな別れと出会いの月であります。
 幼稚園・保育園から大学生まで卒園式や卒業式を迎えます。
 また会社でも退職や転勤の時でありましょう。
 はじめて保育園の門に入って、お母さんやおばあちゃんの手を離れて保母さんに渡されて、亡きじゃくっていた幼児も立派に成人して 「あんなことあった、こんなことあった、せんせいありがとうございました。お父さんお母さんありがとうございました」と歌いながら園を去っていく光景を見ますと、 思わず涙することであります。
 また、空港や港でも人生それぞれの別れや出会いの絵巻が見られるのもこの季節であります。
 人にはそれぞれの個性があり、色彩があります。
 それぞれ顔が違うように、思いもまた、さまざまでありましょう。
 青い色には青い光が、赤い色には赤い輝きが、黄色には黄色いゆかしさが、白い色には白いたたずまいがあります。
 人間だけではありません。野の草にも花にもいえることであります。
 いのちあるもの、いや、山も川の自然もまた、そうなのであります。
 すべてのものを「サットヴァ」という仏教のこころは すばらしいと思われます。
 草も木も、豚も牛も、そして山も川もみな同じであり、差別がありません。
 「サットヴァ」という 梵語ぼんごは 「衆生しゅじょう」 「有情うじょう」と やくされています。
親鸞聖人しんらんしょうにんは特に 「正像末和讃しょうぞうまつわさん」をお作りになる晩年のころには、特に 「有情うじょう」という 新訳しんやくに心ひかれられたようですが、自然も草もすべてのものに、 「情あるもの」という受けとめ方をされています。
 すべてのものに差別なく、そしてしかも、それぞれに個性と色彩を見つめてゆくという人生観を今一度、現代によみがえらせたいと思われてなりません。
 そのような時、

 一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
 光明てらして ほがらかに いたらぬところはさらになし 
 
 という 「和讃わさん」が口ずさまれてきます。
 
 三十六百千億というのは、  びゃくげんしょうこうしゅ こたの六つの光が互いに うつりあって入りまじるところから、六六・三十六光といわれるのであり、 それがあらゆるものすべての かずつうじているというので三十六百千億となっているのであります。
 み仏と 浄土じょうどの光は、あらゆる 有情うじょうに向かって はなたれ、それぞれの 個性こせい色彩しきさいとなって うつりあい、入りまじって生かしてくださるのです。
 まことに「今日一日の生命尊し」であります。
 
                      


※『真宗法語のこころ』  中西 智海師
本願寺出版社 
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