☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

               
第70回 何もない慶び*二種深信にしゅじんしん  更新 平成29年6月
          
どうしたら信心が得られるでしょうか?という問いがあります。 
浄土真宗の教えを真面目に聴聞ちょうもんされているからの問いであります。
 でも、その問いの底には、こういうふうになったら信心が得られた状態ではないかと想定しているところがあります。
その状態に反して、自分の心はまだまだそこには至らないと思うから、どうしたら信心が得られるのかと 煩悶はんもんするのであります。
 しかし、それは、どこか自分の心が「信心のある状態」に成長していくと考えているところがあるのではないでしょうか?
「もう少したてば得られるかも知れない」
「あの先生のお話を聞けば、なんとかなるかもしれない」
「ひょっとして明日になれば、このモヤモヤが晴れるかも・・・」 
と期待し、自分の心は今はダメでも、いつかは「信心を得た状態」にならねばと考えているのです。
 けれどもそれは、「たった今、ここにしか」生命がないという事態を見落としていると言えます。
明日も続くと仮定した上での話は、仏法ぶっぽうにはありません。
常に死を目前においた、生と死を一つにみた上で語られるのが仏法です。  
 阿弥陀あみださまにとっては、私に信心を得たという実感があろうとなかろうと問題ではありません。
そんなことより、いつ何時死が訪れるかもしれない私を心配されているのです。
 ですから、阿弥陀さまは、私が何かになるのを待っておられる訳ではありません。
阿弥陀さまの救いは、「たった今、ここで」のことです。 有り難い気持ちになって、「ああいう気持ちになったのだから、もう大丈夫だ」と自分の心をたよりにしていても役に立ちません。
また、将来に何らかの信心を得た状態になることを想定して「今はダメだ」と思うのなら、「たった今、ここで」の阿弥陀さまの救いに目覚められないでしょう。
 では、私の心は変わらないのか?と質問したくなります。
変わらないのであれば、信心を得た甲斐がないのではと思う人もあるでしょう。
でも、この「変わる」には、当然前よりも良くなるということが含まれています。そういう意味ではまったく変わりません。
 ただ一つ言えるとすれば、自分には本物は何一つもない、あるのは「たった今、ここで」 阿弥陀さまが私を救おうとしてくださっていることだけであるということでしょうか。
 ある先生は、学問研究はもちろんのこと、誰もが敬服するほど真摯しんしに聴聞を続けられましたが、 つい最近になって、
「私が今までやってきたことは、みな嘘であった。ただ、私には何もないことが知らされた。これが信心である」
と表現されました。
 私には救われていくのに役に立つものは何もない、あるのは救おうという阿弥陀さまのはたらきだけだという意味でありましょう。
何もないから南無阿弥陀仏なもあみだぶつがあり、 南無阿弥陀仏があるから何もいらないということです。
私には、はたらきかける南無阿弥陀仏だけがある、南無阿弥陀仏と一つであるという「たった今、ここで」の よろこびであります。
 自分が何かを信じ、自分で何かを積み重ねて結果を得たという考えが打ち消されてこそ、阿弥陀さまの お慈悲じひであります。 

 

※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171

最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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