☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第57回 私のためだったのか*法蔵菩薩ほうぞうぼさつ  更新 平成28年5月

真宗の教えを聞き始めたときに、一番初めにつまずくのは、 法蔵菩薩ほうぞうぼさつのことについてではないでしょうか?
仏説無量寿経ぶっせつむりょうじゅきょう』というお経の前半には、 この法蔵菩薩が人格的に表現されています。
それは、ある国王が王位を捨てて法蔵と名のる 比丘びくとなり、 世自在王仏せじざいおうぶつという仏さまのところにやってきて、 五劫ごこうの間 思惟しゆいしてあらゆる人びとを救いたいという願いを立てられ、 その願いを完成するために 兆載永劫ちょうさいようごうの間修行されて、 阿弥陀仏あみだぶつという仏さまになられ、お浄土を完成されたというお示しであります。
その中でも、特にこの「五劫」とか、 「兆載永劫ちょうさいようごう」というような表現に 戸惑とまどうのです。
「劫」とは、インドの時間の単位で、とても長い時間のことであり、さまざまな たとえでその長さが示されます。
もっとも有名なのが、一劫とは、四十里四方の立方体の大きな石を、百年に一度ずつ薄い衣でサーッと払い、その時のごくわずかな 摩滅まめつを繰り返して、やがてその大石が摩滅しつくしてしまっても、まだ一劫という時間は つきないというのです。
五劫とは、その五倍ということですし、永劫とは、それこそ気の遠くなるような永遠なる時間のことでしょう。
このような表現を聞くと、なんだか「ふーん?!」という感じを受け、おとぎ話を聞いているような気がして、
「そんなこと信じられるもんか!」
となってしまうのです。
お経の表現には、私たちのものさしに合わせて説かれるものと、私たちのものさしを超えたところで説かれるものがあります。
法蔵菩薩を人格的表現で示されるのは、私たちのものさしに合わせて説かれたものでしょうし、五劫の思惟や 兆載永劫ちょうさいようごうの修行とは私たちのものさしを超えたところで説かれたものと言えるでしょう。
大事なのは、私たちの経験や判断を超えたところで説かれたことを、どう受けとめるかであります。
その受けとめ方によって、それまでの自分の生き方や考え方を少なからず方向転換させられるのです。
それが教えに 出遇であうということであります。
親鸞しんらんさまは、この法蔵菩薩についてのお示しをどう受けとめられたのでしょうか?
教行信証きょうぎょうしんしょう』には、 兆載永劫ちょうさいようごうの修行について述べられる直前に、私たちのありさまが示されてあります。
すなわち、私たちは はるかなる昔から、ただ今この時に至るまで、 煩悩ぼんのうにけがされて清らかな心を持つこともなく、嘘いつわりや びへつらう心でいっぱいで、真実の心を持つこともなく、迷いの世界をさまよってきたのであると 述べられ、それと対比するように、法蔵菩薩は清らかな心や真実の心をほんの一瞬も失うことなく、 兆載永劫ちょうさいようごうの修行をされたと述べられるのです。
つまり、私の罪悪や迷ってきた長い時間と、法蔵菩薩の 清浄しょうじょうで真実な 兆載永劫ちょうさいようごうの修行期間とが対比して述べられているのです。
ということは、法蔵菩薩が気の遠くなるような長い間の修行をされたのは、ほかでもないこの私のせいであったということになります。
五劫についても同様で、それが 『歎異抄たんにしょう』の、
「五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞 一人いちにんがためなりけり」
というお言葉なのです。
法蔵菩薩の思惟や修行が私のためであったと知らされなければ、お経は単なるお話になってしまうでしょう。




※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:\756(本体\700+税) 電話 075-371-4171

最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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