☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第51回 キレる *五濁悪時ごじょくあくじ 更新 平成27年11月

もう五年ほど前になりますが、寺に遊びに来た二十歳の若者が、
「最近の若い子は恐い。キレたら何をするかわからん」
と言いました。
私は思わず、
「若いくせに年寄りみたいなこと言うなあ」
と笑っていましたが、彼は真剣な顔をしていました。
今にして思えば、彼は微妙に変化しつつある少年少女の感性に何となく気づいていたように思います。
今の子はすぐ「キレる」と言われます。
確かにそうかもしれませんが、「キレる」というのは、何らかの 我慢がまんをしていたからこそ「キレる」のではないでしょうか。
また、「すぐキレる」といっても、それは、それまでの 我慢がまんが他人に見えないだけで、本人にとっては、「すぐ」ではないのかもしれません。
堪忍袋かんにんぶくろが切れた」という古い言葉には、特定の人に対して 辛抱しんぼうしつづけたイメージがありますが、今の「キレる」は、あらゆるものに対して まりに溜まっていたものが、何かのきっかけで爆発するという感じがあります。
ですから、その「何かのきっかけ」だけを見れば、「あんな 些細ささいなこと」で「すぐキレる」なのでしょうが、本人にとっては、 ずっと我慢がまんしてきたけれども 「いつかこうなるような気がした」ということではないでしょうか?
今のお母さんたちが小さな子どもに対して、もっともよく言う言葉は何かご存じでしょうか。
それは、「早くしなさい」だそうです。
昔に比べて、炊事や洗濯など家事全般は早くできるようになりましたが、子どもだけは思い通りにはいきません。
そこで「早く食べてしまいなさい」「早く片づけてしまいなさい」などなど・・・・となるのかもしれません。
また、お父さんたちが子どもに対してよく使う言葉は、「お母さんに聞いてきなさい」です。
子どもがお父さんに、「どこかに行こうよ」とか「何か買って」とねだると、テレビを見て、 寝転ねころがっているお父さんは、子どもの顔も見もしないで、めんどうくさそうに 「お母さんに聞いてきなさい」と責任を回避かいひします。
「早くしなさい」や「お母さんに聞いてきなさい」という 雰囲気ふんいきの中では、子どもはじっくり自分の思いを うったえることはできず、 じっと我慢がまんするよりほかありません。
やがて、子どもたちが成長していきます。
生徒が先生を切りつけるというようなナイフの事件が起こると、親は不安になります。
そして、子どもに言います。
「お前は持っていないだろうな?」と。
こういう言い方は、子どもたちがもっとも嫌うパターンです。
親や大人は、子どもの心の中に目を向けようとせずに、現象だけを見て心配したりします。
それは親自身が安心するためのものであって、子どもを心配しているのとは別のことです。
子どもはちゃんと見抜いています。
親が思うほど子どもは子どもではありません。
特に最近は自分の思いをうまく表現できなくなりつつあるように思えてなりません。
親や大人にはもちろんのこと、子ども同士の間でも、他人の言葉に傷つきやすく、 反論はんろんしたい自分の思いをうまく 伝達でんたつできない感じがします。
親や先生より友達同士と子どもたちは言いますが、苦しい自分のこころをそれほど友達に打ち明けていないように思います。
表現できない分、ただ 我慢がまんするしかないことになるのでしょうか。
子どもは表現できず、親や大人は見ようとしない。
我慢がまんつのる。
「むかつく」「いらつく」、いつかは「キレる」ということになるのかもしれません。
子どもの持っている不安は、大人の抱いている不安でもあります。
生活の規範きはんしつけることができないのは、親の無責任ですが、子どもの心の不安に向き合おうとしないことは もっと無責任であります。
子どもの命は親のものではありません。
仏さまから「あずかっている命」だからこそ責任があるのです。
その命は、仏さまになる尊い命なのです。
親がこの尊い命を おがむようになれば、子どもの心のつらさをわかるようになれるのではないでしょうか。
「今の子は恐いことをする」などと言いますが、その「今」の社会を現に私たちがつくっていることを忘れてはなりません。


※『ひらがな真宗』本願寺出版社 定価:¥756(本体¥700+税) 電話 075-371-4171

最近、「仏教の言葉がむずかしい」「漢字が多くてどうも」という若い方の声や、「高校生や中学生にもわかりやすく真宗のご法話をしたいが」 という年輩方の声をよく耳にします。
※本書は、『ひらがな真宗』の題が示すとおり、まさにその声にこたえるべき待ち望まれていた書です。
名号みょうごう」 「本願ほんがん」 「浄土じょうど」 「他力たりき」といった真宗の用語を、その用語のしめす雰囲気でわかったつもりで使うのでなく、 専門的な言葉を使わずに説明したり、ご法話するすることは簡単なことではありません。
また、せっかくわかりやすくと思っても、やさしい言い回しにとらわれすぎて、真宗の教えの真意がうすれてしまっては意味がありません。
その点でも本書は、実にすぐれた書であるといえます。
若い方にもわかりやすく、日常生活の中の身近な話題をピックアップしていて、肩の力を抜いて読むことができます。
それでいて温もりのある、心にひびく文章には、こども会を続けてこられた森田氏【森田 真円氏】のお人柄があふれているような気がします。
 一九九九年十二月   
  東光 爾英 【『ひらがな真宗』「はじめに」より抜粋】

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