☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第48回 念珠ねんじゅの意味 更新 平成27年8月

念珠ねんじゅ数珠じゅずともいいますが、 これは《かぞえる たま》という意味で、 繰り返しとなえる 呪文じゅもんや、 念仏などの回数を、珠で数えたところからきています。
しかし、浄土真宗では、呪文をとなえたりしませんし、念仏も回数によつて、 功徳くどく大小だいしょうがきまるのではなく、 「おたすけくださってありがとうございます」と、ご恩をよろこんでとなえているのですから、 珠を数える必要はありません。
そこで、数珠というよりも、念仏を称えるときに用いる、 法具ほうぐという意味合いから、念珠といいます。
数珠という言葉に関連して、よくたずねられるのは、「珠の数はいくつか?」ということです。
基本となるのが「百八」とされ、その半数の五十四や、そのまた半数の二十七などがあるといわれていますが、 実際は、かならずしも一定ではないようです。
珠を数えない浄土真宗では、なおさら気にすることはないでしょう。
ただ、「百八」という基本の数字は、それなりに根拠があり、
木槵子経もくげんしきょう』というお経にー 煩悩の苦しみを滅しようと思えば、 木槵子経もくげんしきょうの珠百八つを つらぬいて常に 携帯けいたいし、散り乱れるこころをしずめて珠を 順次くりながら、 仏法僧ぶっぽうそうの名をとなえよーと説かれています。
つまり、私どものもつ 煩悩ぼんのうの数が「百八」あると考えたところからでており、 百八の珠を煩悩にあてはめて、念仏をとなえながら、一つひとつの煩悩を滅していこうという考え方、数珠の使い方がうかがえます。
しかし、浄土真宗で使う念珠は、自分で煩悩を滅するためのものではありません。
合掌した両手にかけることによって、阿弥陀さまの方へ心を向け、お念仏を称えながら、煩悩をもったこの身のままお救いくださる、 如来さまの 親心おやごころ大悲だいひ】を あおいで、 讃嘆さんだんし、 礼拝らいはいするためのものです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏・・・・。


※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


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