☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第24回 「聞く」ということ 更新 平成25年8月

仕事ひと筋に、何十年も歩みつづけ、立派りっぱ業績ぎょうせきを残した人びとがおられます。
たとえば「人間国宝にんげんこくほう」と よばれる人たちです。
こうした一芸いちげいにひいでた人たちは、 こぞって「多くの人びとの支えがあったればこそ、なしえたことだ」と、語っておられます。
さらに、その仕事を、ひと筋に歩みつづけることは、その「仕事に聞きつづけていく」ことだともいわれます。
「仕事に聞く」というのはおかしな表現ですが、こういうことです。
たとえば、陶芸とうげいの道ひと筋に、 生き抜かれたある方は、自分のかまに 合った土を求めて、土をさがす中で、土は生きていると実感したとおっしゃいます。
また、農業ひと筋の人は、稲は生きていると語っておられます。
そして、山へ田へ、土の「声」、稲の「声」を聞きに出かけるのですと、おっしゃっていました。
私が力をつくす中で、それぞれ道をきわめていくと、それまで「私がしてやった」という 自負心じふしんは消え、私に呼びかけてくる、 色々な「いのちの声」を、お聞かせいただいたからこそ、今の私があるのだという、感謝の日々の中で、 さらに新しい境地に入って、仕事をされるというのです。
「聞く」という世界は、「いのちの声」に、「呼びさまされる世界」でもあるのです。
浄土真宗における「聞法」、つまり、阿弥陀如来の法(みのり)を聞くのも同じことです。
お寺などでお説教を聞いても、初めのうちはうわの空でしょう。
しかし、何度も何度も聞かせていただいているうちに、柿の実が、お日さまに照らされてすこしずつ赤く 熟していくように、仏さまのお言葉を、素直に受けいれられるようになっていきます。
初めは難しく、抵抗を感じていた私が、その一言一言に、今までとは違った ひびきを感じるようになってきます。
ひたすらお聞かせにあずかる中で、新しい境地が開けてくるのが仏法なのです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。


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今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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