☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第151回 はく息すう息光明の中更新 2024年3月
          
 『 ぶつ本願力ほんがんりきかんずるに、
 まうあうてむなしくすぐるひとなし』
 
           【一念多念証文いちねんたねんしょうもん】 
 
 「あらあらしい人生を、果たして生きていく意味があるのでしょうか」とたずねた青年がいました。
 私は「人生はデパートの売品ではありません。はじめから値段がついているのではありません。
 ですから、はじめからどんな意味があるのですかと自分の人生を何かマナイタの上にでものせて眺めるといったものではないのです。
 さらに、踏み込んでいえば、この二度と繰り返しえない人生を、もし値打ちがなければ生きるのをやめようというのでしょうか」と言いました。
 私たちは、せっかくいのちをたまわって縁をいただいたこの世、この人生を、晴れた日はもとより雨の日も、確かな意味づけのできる人間に成らせていただかなければなりません。
 その意味で、この法語は重大なことがらを私たちに告げていると言わなければなりません。
 「仏の本願力を観ずるにまうあふて」とある「観」を「願力をこころにうかべみるとまふす、またしるといふこころなり」と説かれ、「まうあふとまふすは本願力を信ずるなり」 と釈され、「むなしくすぐるひとなしといふは信心あらむひと、むなしく生死にとどまることなしとなり」と領解されています。
 私たちは、あらあらしい人生であればこそ如来のまことの願力を心に浮かべ、身にしかと領解し信知させていただかねばなりません。
 あらゆる生きとし生けるものをもれなく おさめとって、めざめのいのちの完成である仏に成らせねば自らの存在の意味がないと立ちあがってくだされた仏の本願力を しかと身と心にうなずく人生は、一日一日が、われみ仏とともにあり、われ念仏とともならば、無意味なむなしい日はありませんと、 めざめの人生を歩ませていただく身にさせていただくのであります。
 「信心あらむひと、むなしく生死にとどまることなし」と鮮明に告げられています。
 如来の本願を心に浮かべて身にしかと念仏申す人生は、大いなる智慧と限りない慈悲のただ中に おさめとられて、ひとときもわれを放したまわない光明の中の歩みとさせていただくのであります。
 ただ今が 摂取不捨せっしゅふしゃの光明の中ですから はく息、すう息が光明の中の、すなわち念仏の中の出来事であると確かな人生を 味わうのであります。
 それが 「無碍むげの一道」といわれるゆえんであります。
 そして「おわりもまためでたくそうろう」と本当のうなずきのある人生の道であると領解させられるのであります。
   



※『真宗法語のこころ』中西智海 著
本願寺出版社 
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