☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第15回 遇いがたくして遇う 更新 平成24年11月

親鸞聖人は 『教行信証きょうぎょうしんしょう』の中で、 「西蕃せいばん月支げっし聖典しょうてん東夏とうか日域じちいき師釈ししゃくに、 ひがたくしていま うことを たり」と、 仏法に遇うことができたことを、よろこんでおられます。
インドから、「西域さいいき」の 砂漠さばくを越えて中国へ、 さらに海をこえて仏教は日本に伝わってきました。 その過程で、無数のお坊さんや、ご先祖の努力があって、私の耳にとどいたのです。
自ら前後二十余年の歳月をかけて、インドに求法ぐほうの 旅をした、中国の唐代とうだいの 学問僧・義浄三蔵ぎじょうさんぞうが、 その間の見聞けんぶんした
大唐西域求法高僧伝だいとうせいいきぐほうこうそうでん』 という書物の中に「高僧、法を求めて長安ちょうあんを離る。 去る人百を成すも、帰するは十も無し」と述べています。
当時の中国の唐の都・長安から、仏法を求めて、西方さいほうへ 出かけていった偉いお坊さんが百人いたとすると、無事に帰りつくのは、十人もなかったということです。
仏法を伝えるということが、いかに困難なことであったかがしのばれます。
経典きょうてんが日本に伝わるまでには、 どれだけ多くのかたがたの、いのちがけのご苦労があったことかわかりません。
私の口から、ひと声のお念仏を出させるために、はかり知れないご苦労があったことを思うとき、 この仏法を決しておろそかにはできません。
また、それほど多くのかたがたが、身命をかけて大切に求め、伝えられてきたことは、そのまま、 仏法が真実の教えであることを証明するものです。
とりわけ阿弥陀如来の本願の念仏こそ、私ども凡夫にとって、最もふさわしい救いの道であることを教えてくださった、 浄土門の高僧がたのご苦労を感謝せずにはいられません。
多くの高僧がたのおかげで、今、遇いがたくして遇うことを得た阿弥陀如来の大悲の本願を仰ぎながら、 お念仏申す身のしあわせをよろこばせていただきましょう。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。




今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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