☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第14回 「お経はたて糸」 更新 平成24年10月

 おきょうは 「仏説ぶっせつ」という言葉ではじまっています。
仏説無量寿経ぶっせつむりょうじゅきょう』 『仏説阿弥陀経ぶっせつあみだきょう』などと申します。
仏とは真実にめざめたかたということで、この場合はお釈迦様のことです。
仏であるお釈迦さまが自分と同じように、仏になる道をお説きになっているのがお経ですから、 「仏説」という言葉ではじまっているのです。
お経という言葉は、「たて糸」という意味があります。
織物おりものの「たて糸」が横糸を支えて、 美しい模様のある布をおりりあげていくように、 お釈迦さまの説かれた言葉は、美しい真理を表していますから、「経」というのです。
また「経」は「つね」とも読みます。
すべての人のこころの依りどころとなる、永遠に変わらない真実が説かれているから「経」というのです。
仏典に、つぎのような物語がでています。
昔インドに、マハーデーヴァという王がいました。
ある日、王が 散髪さんぱつしていたとき、 理髪師より「王さま、頭に一本の 白髪しらががあります。」と告げられました。
かねてより、白髪が目についたら、報告するようにと命じていた王は、その白髪を てのひらに受けて見つめ、おそれおののきました。
やがて王は、 くらいを息子にゆずって、修行者になるため 宮殿きゅうでんんをでて行きました。
驚いた 家臣かしんたちがひきとめようとして、 その理由をたずねたとき、
王は「私はもう若くない。ほんとうの人生というものを、考えるときがきたのだ」と 語ったといいます。
人は、かならず年老いて、やがて死を迎えなければならないという、問題をかかえています。
私どももまた、ほんとうに心の依りどころとなる、変わることのないみ教えに支えられて、心豊かに生き、 安心して死ねる道をたずねることを急がなければなりません。
お経には何が説かれているのか、そのみ教えに、耳を傾けたいものです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。




今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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