☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第130回 て、座れ更新 2022年6月
          
 『 て、座れ。眠って汝らになんの益があろう。
  られて苦しみ悩んでいる者どもに
  なんのねむりがあろう。 』

 【『経集きょうしゅう』】      
 
 ちかごろ電車やバスに乗ると、居眠りしている人がとても多いように思います。
 目まぐるしい世の中に疲れている人が多いのでしょう。
 身体が疲れているだけではなくて、心の方もずいぶん疲れているのではないでしょうか。
 その証拠に、すがすがしい目をした人にはあまり出会わないように思います。
 そういう自分も、多分そんな傾向があります。
 「〇〇に強くなる」というような言葉がはやるのも、現代人が一般に疲れて弱っているからではないでしょうか。
 「起て、座れ」と叫びたくなります。すばらしい文明の外観の底に、人間精神の弱化がひそかに進行しているとしたら問題です。
 新聞で「眼精疲労」という記事を見たことがあります。
 試験勉強に打ち込む学生にこの症状が多いことはよく分かりますが、いっぱんに会社や職場でも目の疲れを訴える人が多いということです。
 文化が発達すれば、それだけ目を使うことも多くなる通理です。
 都会の 雑踏ざっとうのなかに立てば、ケバケバしい広告、目まぐるしい人や車の往来などが、私たちの目と神経を 疲れさせます。
 家に帰ると、ヤレヤレという思いで、思わず目をつぶりたくなります。
 しかし、それも束の間、夜は夜でテレビの画面がチラチラと目を披露させます。
 どうもこのごろの文化は、あまりにも見る文化に偏しているようです。
 目の楽しみを追うということは、直接的なものを追うということで、ある意味では精神の貧困をきたすものではないかと思います。
 ですから、目の疲れは、じつは精神の疲れをあらわしています。
 忙しく動きまわっているけれど、精神の方はかえって眠っているのではないでしょうか。
 アチコチに忙しく目を動かしているうちに、かえって目の方が疲れてくるのと同じです。
 まず「座れ」といいたいのです。
 そして静かに目つぶって聞くのです。
 かえってそこに精神はいきいきとさめて来ます。
 ところが、現代社会は、安易に人の心を眠りこませるようなものに充ちています。
 私たちが人間として生きてゆくのに、害こそあれ、何らの益もないのです。
 


※『ひかりの言葉』 
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