☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第112回 ただしい言葉を語る更新 2020年12月
          
 『あらき言葉ことばを、はくなかれ
  けてはかえす、買い言葉
  いかりの言葉ことば苦しみぞ
  さばきのむちを、身に受けん

  いろうるわしく、あでやかな
  はなに香りの、そうがごと
  身におこなえる、ことの葉は
   かれてしかも、みのりあり』 
         【『法句経ほっくきょう』】       
 
 これも正しい言葉を語るべきことを説かれたものであります。
 はじめの経文は荒々しい言葉、すなわち正しくない言葉について、後の経文は正しい言葉について説かれています。
 また、さきほどの教えは、正しくない言葉が私たちの身のまわりの人たちを悩ますものであるという点について訓戒されてありましたが、 この教えは、荒々しい、いかりの言葉が、結局は自分自身の心を傷つけるものであるという面を強調されてあります。
 私たちは、とかく感情に走りがちでありますから、一時的な感情の高ぶりのために必要以上に他人を ののしったり中傷したりするものであります。
 後から少し冷静になって反省しますと、これはひどい言葉をはいたものだと、後悔させられるということがよくあります。
 また、罵られた相手の方も売り言葉に買い言葉で、これに応酬するものですから、争いは水輪の広がるように拡大して、ついには身辺の平和を乱してしまう というようなことは、私たちがしばしば体験することです。
 それでは、罵る相手を前にして いかりの言葉をはくから争いになるのだろう、それならば かげでこっそり悪口をいうには 一向に構わないではないか、ということになります。
 この言葉は、その所のことを教えておられるものであります。
 いかりの言葉は相手がいようが、いまいが、結局自分の心を傷つけることになる、その さばきの鞭は自分の身に あてられることになるのだ、ということは忘れがちであります。
 この教えから、さきほどの「言葉をもって親しき人たちを悩ますものは いやしき者である」という教戒をふりかえってみますと、やはりその報いは 私自身の身の上に返ってくるのだということを知らされるのであります。
 これに対して、美しい花の色と その良い香りが調和しているように、自分の実行のともなった正しい言葉は、それを聞いた人たちにとって  よき導きとなるのみでなく、自分自身にとっても確かな成果となって残るものであります。
 地に足のついた空まわりのない人生、それは言行一致の生活にあるというこの教えは、仏教的人生にとっては正しい言葉を語ることが  きわめて基本的にして重要なことであることを教えてくれるのであります。
 八正道の一つ「正語」の重要さが そこにあります。
 言葉と行動が美しく調和した人は、まことにうるわしい人生をおくることができると思います。
 


※『ひかりの言葉』  
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