☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

                   
第105回 苦しみ悩みの現実を更新 2020年5月
          
 『生死しょうじ苦海くかいほとりなし
 ひさしく しづめる われらをば
 弥陀弘誓みぐぜいの ふねのみぞ 
 のせて かならず わたしける
         【高僧和讃こうそうわさん】』
         
 「私は ふつうの幼児とは違い先天性骨不全という病気で、いつも苦痛と死が友でした。
 幼いころから多くの新興宗教の方が大変まれな病気の私の うわさを聞きつけては訪れ、祖先の たたりだとか、前世の のろいだとか言いつのり 勧誘かんゆうにきました。
 しかし、もともと 安芸門徒あきもんとの祖母の あつい信心に影響されて、私は如来さまを知らず知らず したってきました。
 とはいうものの、思春期を迎えた私は自分の病苦の重さに あらためて驚き苦悩しました。        
 これを治せない宗教なんて、と真宗に心ひそかに八つ当たりをして、 のろっていました。
 そして、自殺したいと念願し続けていました。
 でも、幼い時から私を照らしてくださり続けた光明の一条が私へ問い続けました。
 『何のために生きるのか』『何のために?』と。
そのとき
 『人身受け難し』
 『無碍むげの光明は 無明むみょうの闇を破する 恵日えにちなり』
 のお言葉が、私の人生を強くゆり動かしたのです。
 濁った空気の中に清風が吹きぬけた感じです。
 ショックでした。
 でもそれは安らぎでした。ささくれたこころに何百時間ぶりに感じた深い安らぎでした。
 『私は仏さまに うために生まれさせていただいたのだ』
という強いうなずきでした。
 永劫の時間を感じました。
 真宗という宗教は、ほんとうに私を目当てに開かれ、 思惟しゆいしてくださったのだと思いました。      
 いま、こうして病気の身ですが、身の健康を与えられたよりも ほんとうの人生の意義を感じさせていただいています。
 本当にありがとうございます。
 これからは一人でも多くの方に慶びを伝えたく思います。」
 

 私が中央仏教学院通信教育の お世話をしていた時の縁によって いただいた一通のお便りです。
 この世に生を受け、深い苦悩の現実から生きる意味を問い、それこそ「仏さまに うためでした」と うなずく ショック、安らぎ、落ちつきの心境。
 そして、それが喜び、感謝へと変わっていったことを 身をもって告げられています。
 真宗の宗教とは、病気が奇蹟的に治るとか、逆境が一瞬に消えるとか いうものではありません。 
 それは、人間の苦悩の根を照らし出し、しかも苦しみ悩む人間を めざめさせ、苦悩を のりこえる力を めぐむもの というべきであります。
 まことに、底知れない苦悩の海といわれる激浪の真っ只中に生きる私を必ずめざめさせ、すくってくだされるのは、まさに 阿弥陀如来の 誓願せいがん大船だいせんだけであります。
 「難思なんじ弘誓ぐぜい」こそ 「難度海なんどかいする 大船だいせん
と説かれるのも同じ心であります。
 苦しみ悩みの現実を逃げかくれもせず、 誓願せいがん乗托じょうたくし 念仏申させていただく たしかな道こそ
無碍むげ一道いちどう」であります。
 


※『真宗法語のこころ』 中西 智海
本願寺出版社 
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