☆☆ 法 話 ☆☆
 
【 私の如是我聞 】

第10回 「自らを灯とせよ」 更新 平成24年6月

 お釈迦さまが晩年に病気にかかられたときのことです。お弟子たちは、お釈迦さまがなくなられたら、あとは誰れをたよりにしたらよいだろうかと心配しました。そのことに気づかれて、お釈迦さまは、
みずからを灯明とうみょうとし、自らをたよりとして、他をたよりとせず、ほう灯明とうみょうとし、法をたよりとして、他のものをよりどころとせずにあれ」と語られたといいます。「自灯明じとうみょう法灯明ほうとうみょう」の教えとして、有名なお言葉です。
とかく私たちは、人の言ったことに左右されがちです。とくに権威けんいある人に追随ついずいして、自分で考え、自分で何が正しいかを見定めようとはしません。実はその方が安易あんいだからです。しかし、結局、「信用していたのにだまされた」ということになりがちです。人間が人間を信じるということは危険性をともうことなのです。人の言葉を鵜呑うのみにして頼るのではなく、何が正しいかを、はっきり見定めることのできる自分を確立してゆくことが、大切であることを、お釈迦さまは「自らを灯明とうみょう(ともしび)とせよ」と教えられたのでした。
それでは、私どもは何を根拠こんきょに正しいと判断すればいのでしょうか。それをお釈迦さまは「法を灯明とうみょう(ともしび)とせよ」と教えられたのです。法とは、物ごとの本当のあり方のことです。たとえば、すべてのものは変化し、永久に続くものは一つとしてありません。この事実が無常という真理なのです。この疑いようのない真理を法といいます。
また、すべてのものはりあって成り立っています。この事実が「縁起えんぎ」という法です。これらのことは誰れでも認める真理ですが、しかし、私たちはこの明白な事実でも、自分自身のこととなるとなかなか認めようとしません。他人は死んでも、自分はいつまでも元気でいると思っています。これが、迷いそのものなのです。私たちが自分だけは例外だ、と無意識に思いこんでいる誤りに気づき、迷いから抜け出すには、この法に根拠をおき、法に教えられて、自分自身が目覚めざめていくことが大切です。そのことを お釈迦さまは「自らを灯明とうみょう(ともしび)とせよ」と教えられたのです。

 では最後に、ご一緒にお念仏申しましょう。南無阿弥陀仏・・・・。

※『朗読法話集(第一集)』(本願寺出版社 1,300円 電話 075-371-4171)
読経だけでなく、少しでも、み教えを味わっていただけるようにとの願いから、本願寺から刊行されました。
※本書は「仏の教え」「浄土真宗の教え」「特別法話」「荘厳・仏事・作法」の四種類に分類しています。一つの法話で ひとつの内容を味わっていただけるよう編集されています。
※ご法座の最後は、「では最後にご一緒にお念仏申しましょう」といって、一同がお念仏を申しながら、 合掌礼拝して終了します。




今生最後と思うべし 一このたびのこのご縁は 我一人の為と思うべし 一このたびのこのご縁は 初事と思うべし 一このたびのこのご縁は 聴聞の心得


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