2021年8月 第118話

朝事*住職の法話

び声」
     
 住職法話をお読み頂きまして、有難うございます。
 今月は「喚び声(よびごえ)」という題とさせて頂きました。

 阿弥陀さまの「お喚び声」(およびごえ)について、
 宇野行信師は「人と生れて」(百華苑 刊)の中で、次のように書かれています。
 少し紹介させて頂きます。

 『お念仏が、および声と聞かされていたことで、私はどれほど救われたかわからない。
 失明同然の私の口から「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏が出ていてくださる。
 たった一声でも、そんな私にみ教えが、み光となって私の歩む方向を示してくださったとうけとられたからである。
 この私の口から出てくださるお念仏は、そのままこの私をよんでくださる如来さま自身なのである。
 私の口からお念仏が出るのは、もちろん、それは称える私の功ではない。
 如来さま自身が、この私からつねに、離れられぬというお慈悲のあらわれとしてお念仏となってくださったのである。
 「さるべき業縁の催さば」恥も外聞もなくどうか助けてくださいといわずにおれぬ私だと見抜いて、如来は私から離れられないのである。
 聴聞してありがたいと喜ぶ身になることもお慈悲かも知れぬ。
 だが、この度、病んでみて、なにを口にだすかわからぬお前だから、ひとときも離れられぬというそのことが、お慈悲と味わわれた。
 どこまでも広いお慈悲である。
 
 うかつにも私は、手術後も、呼び声を「呼び声」と書いて来た。
 だが、呼び声でなく「喚び声」(よびごえ)であった。
 講談社の大辞典によると、「呼」は、オーイオーイとよびかける。
 例えば舟をこちらによぶときに使うとある。
 呼という文字の場合は、よぶ如来とよばれる私との間に距離があることをあらわしている。
 だから、こちらから近づき、歩むように働かなければ助からない。
 もしも、呼ばれたその時に息が切れたら助からないのである。
 それに対して、「喚」は、寝入る人をよび起こすとある。
 あたかも寝入るわが子のところにわざわざ出かけて来て、それでもたらずに肩に手をかけてゆり起こすかのようである。
 この場合、よぶ如来とよばれる私との間には、全く距離があいていない。
 具体的には、この私の口から南無阿弥陀仏とお念仏となって出てくださっている。
 どこで息を引きとっても如来さまのお喚び声(およびごえ)の念仏となってすでに、私にとどいているのである。
 こちらはいつでも手遅れである。


 図らずも、光を失い闇(やみ)のなかで方向を失って立ちすくんだ私ではあるが、その私の口を通して、お喚び声(およびごえ)となって歩む方向を 示してくださったことは生涯忘れることはあるまい。
 退院をし、二カ月に一度の通院となったある日、「明るさをとりもどしただけでも成功ですよ」と医師はいってくれる。
 そうかも知れぬ。だが、そういわれたこの私は、最近、鏡の中にうつる目を眺めながら、少しでもいいから視力がほしいと思うことが時々ある。
 病むことによって念仏の法の縁となったと喜んでおられる方も多い。
 又、ひとは私に病むことによって念仏の味わいが、より深く喜ばれるでしょうといわれる。
 その通りかも知れぬ。
 だが、祈って視力が出るのなら、祈りたいと叫んでいるもう一人の私が、どこかにひそんでいる。
 念仏申す身でありながら、私の人生の現在地は、相も変わらず、縁が催さばいかなる振舞いをするかわからず、 又、なにを口に出すかわからぬところにいるのも事実である。
 あたりまえでない、ただただ恥ずかしい限りである。』
【「人と生れて」宇野行信師 百華苑 刊 】
  
 目の病気になられた宇野行信師の赤裸々な信仰告白として、とても教えられるものがあるように思う次第です。
 
 ここでは、漢字をご縁に、漢字を通して、お念仏の味わいを述べられているのでありまして、別に、どの漢字を使っているからどうだ、 とか、一々、チェックするという話ではないと思います。
 意のあるところを御汲み頂けたら、幸甚です。
 私自身も「呼び声」という漢字を使ってきましたし、、、、。
 宇野行信師は次のように言われています。
 『私の口からお念仏が出るのは、もちろん、それは称える私の功ではない。
 如来さま自身が、この私からつねに、離れられぬというお慈悲のあらわれとしてお念仏となってくださったのである。
 「さるべき業縁の催さば」恥も外聞もなくどうか助けてくださいといわずにおれぬ私だと見抜いて、如来は私から離れられないのである。
 聴聞してありがたいと喜ぶ身になることもお慈悲かも知れぬ。
 だが、この度、病んでみて、なにを口にだすかわからぬお前だから、ひとときも離れられぬというそのことが、お慈悲と味わわれた。
 どこまでも広いお慈悲である。』
 と言われています。
  
 このお言葉が、私には、特に迫って来るように感じました。
 煩悩に狂う危なっかしい私が、ここにいることと、それと離れぬ南無阿弥陀仏が、私の中で同居していて下さる気がします。
 勿体ないことです。

 本願寺鹿児島別院 YouTube常例法座で、片岡 哲英師(鹿児島県南さつま市 光明寺)のご法話を聞くご縁がありました。
 「がんばって、の代わりに」という題のご法話でした。
 大変感銘を受けました。
 「対治」と「同治」という、このお話は、「喚び声(よびごえ)」という味わいにも関係していると思います。
 少し紹介させて頂きます。

 『仏教には「対治」と「同治」という言葉があります。
 「対治」とは「相反する」という意味であります。
 「同治」とは「同じ方向に添っていく」という意味があります。
 例えば、子どもが風邪をひいて、熱を出したとします。さあどうしますか?皆さん?
 ひとつは、氷枕。
 氷で熱を下げるという方法です。
 これは「対治」ですね。
 熱に対して氷。
 反対の方でしょう。
 熱に対して氷で治療する。
 もうひとつあります。

 熱を出した。
 あたたかい生姜湯を飲ませて、服をいっぱい着こんで、毛布や布団をいっぱいかぶって、汗をびっしよりかいて、熱を下げる。
 これは「同治」ですね。
 熱が出る方向に添うていくわけでしょう。
 こういう二つの方向があるんですけれど。
 私は、幼い頃、よく転んで膝をすりむく、膝をすりむいたら痛いですからね。
 「痛い、痛い」と泣き出すとですね、どこからともなく祖母がスッと出てきて、膝小僧をさすりながら、何と言ったかといいますと。
 「痛い、痛いの、飛んでいけ。」
 「痛い、痛いの、飛んでいけ」
 「さあ、もう痛くなくなっただろう。」
 「あのね、男の子はあんまり、メソメソ泣いたらいけないんだよ。」
 いつもこう言われていました。
 さあ、どうなんですか?痛いのは飛んでいきますか?痛いのは痛いですよ。
 「男の子は泣いたらいけない。」
 そんなの無茶苦茶ですね。
 泣きたい時は、男でも女でも、泣きたいんですよ。
 ですから、痛くて泣いている子に、「泣くな!」頑張れない人に「頑張れ!」というのはですね。
 一時的には効き目があるかも知れませんが、根っこのところは、私は、何にも変わらないと思います。
 
 それに対して「同治」。
 相手の心の痛み、苦しみ、悲しみ、悩みに、寄り添っていく。
 これはどうでしょうか。
 痛い時には、「痛いねえ。」
 悲しい時には、「悲しいねえ。」
 辛い時には、「辛いねえ。」
 相手の現状に寄り添っていく。
 これが、実は仏さまのお慈悲の世界なんです。
 私の母は、晩年長い間施設でお世話になりました。
 そうしますとですね。もう寝たきりですから。
 一時期、「あっちが痛い。こっちが痛い。」痛みを訴え通しでした。
 そりゃそうでしょう。じっと寝たきりでね。
 自分で自分の体を動かせないんだったら、もう痛くなりますよ。
 夫婦で、母の施設に行きます。
 「あっちが、こっちが。」と訴えます。
 「肩が。」と言うと、肩を、「腰が痛い。」と言うと、腰を、「足が痛い。」と言うと、足を。
 夫婦で、さすりながら、母の訴えるままに、ずっとさすっていくとですね。
 そのうち、穏やかな顔になって、眠ってしまうことがよくありました。
 ですから、「痛いの我慢しなさい。」じゃなくてですね、「痛いね、痛いね。」とね、やさしくさすってあげると、痛みそのものは、私は無くならないと思いますよ。
 だけれども、精神的に随分楽になったんだろうなあと、こういう思いがいたします。

 もちろん、その、「頑張れ、頑張れ。」という、「対治」の方法を、否定しているわけではないんですよ。
 大事な励ましの言葉です。高校野球、高校駅伝とか、ああいう選手たちは、そりゃ元気です。
 「頑張れ、頑張れ。頑張れ。」と言っても、励ましの言葉になります。
 でも、どうにもこうにもならない、がんばり切れない人に、「頑張れ、頑張れ。」と言うのはですね、酷な励ましの言葉になっていくのだなあという気がしますけど。
 皆さんはどうでしょうかねえ?
 もうだいぶ前のことであります。
 親友と二人で、病院を立ち上げ、まさに今、開業しようと、新しい病院を建てられて、開業準備の真っ只中に、突然、不治の病を宣告されて、約6年間、闘病生活を 余儀なくされて、51歳でしたかね、51歳で、ご往生された。
 現役のお医者さんの葬儀を、私はつとめたことがあります。
 そのことがご縁となり、四十九日までの中院法要、あるいは初盆法要と、おつとめをさせて頂く中で、喪主であるご夫人を通してですね、病魔と闘う、 そのお医者さんの壮絶な生き様に、ふれることが出来ました。
 現職のバリバリのお医者さんですので、お通夜、葬式、共に式場はですね、沢山の参列者と、一杯の花輪で、埋め尽くされておりました。
 そういうこともあったんでありましょう。
 人が多いということも予測されましてですね。
 四十九日の法要、そして初盆法要が、お寺の本堂でつとまりました。
 やがて、一周忌、一年を迎えます。
 今度は、打って変わって、自宅で法要をするという、こういう依頼でありました。
 約束の時間に、ご自宅を訪ねて、玄関の前に立ちますと、実は人の気配が全くないんです。
 皆さんも、そういうこと時々ないですか?
 せっかく訪ねて行ったのに、これは留守かな?
 誰も居ないような感じがすることがあると思います。
 その時がまさにですね、おかしいなあ、一年忌なのに、人の気配がしない。
 まあ、念のためにと思いまして、玄関の戸に手をかけるとですね、玄関が開くんです。
 ちょっと開けて見ましたら、何と履物が全くないんです。
 一年忌だったら、履物でいっぱい埋め尽くされているはずですが、履物がない。
 しかも、じぃーと耳をそばだてますとですね、中がシィーンとしている。
 誰もいるような感じではないんです。
 時間を間違ったかなあと思いながら、玄関が開くということは、誰かがいらっしゃるということでしょうし、念のために、 「こんにちは、お寺ですが。」と言いましたら、奥の方から、「ハーイ、お待ちしておりました。」と、何とご夫人が、出てみえたんです。
 案内されるままにですね、仏間の方に入って行きますと、なんと家族の方だけでした。
 「えー?」と言い、聞きますと、
 「いや実は子供たちが、長い間、苦しい闘病生活を送ったお父さんの一周忌を迎えるのだから、せめて、一年目の区切りの法要は、 家族だけで、お父さんを静かに偲びたい。
 こういう願いで、家族だけにしました。」
 と言っておられました。

 法要が終わって、帰りがけに、そのご夫人からですね、実は一冊の本を頂いたのです。
 「あなたへ」という表題があります。真ん中にですね、紫色に白い点がいっぱい描いてあります。
 最初は雪かなと思っていましたら、そうではなくて、桜でした。
 「これは何ですか?」尋ねますとですね。
 「実は主人は、僕は必ずこの病気を克服して、医師として、又 現場に復帰をするんだ。
 その為に、毎日日記を付けている。
 復帰の暁には、迷惑をかけた、仲間や、患者さんたちに、僕は病気に打ち勝ったと報告をするんだ。
 こういうことを言うておりました。
 ところが、その願いが、叶わずに、命終わっていきましたので、一周忌に合わせて、主人の闘病日記を、ご縁のある方に、 読んでいただこう。こうして自費出版をしました。
 住職さんも主人とは面識はなかったけれども、お葬式に始まって、今日まで、丁寧に、 こうしてお勤めして頂きましたので、どうか読んで頂いたら幸いです。」
 と言われて、一冊だけ頂いたんです。
 帰ってですね、帰り着いて、表紙を一枚開けますとですね、わずかですけれど、これ全部日記なんですが。
 この表紙のところにですね、このご夫人の、メッセージが、ご夫人がご主人に送られたメッセージが、書いてあるんです。
 少し紹介してみますね。

 『もしも誰かが私の願いを叶えてくれるなら、私はあなたに携帯電話を届けてほしい。
  そして、先ず、「もう苦しくないですか」って聞くんです。
 そして次は、「あなたのことをわかってあげられなくてごめんなさい」
 「あなたもう苦しくないですか。今は少しは歩けますか。車いすを押してあげたいのに叶いませんね。」
 「名古屋からの帰ってからの三カ月 きつかったですね。私はあなたの辛さをわかっていたつもりだったけれど」
 「本当は何もわかっていなかったと今思います」
 「ごめんなさい。がんばって生きて、と言うかわりに、辛いね、辛いね、と言って、抱きしめてあげればよかった」
 「ただそれだけでよかったのですよね。こんなに早くあなたがいってしまうなんて、その日までわからなかった」
 「まだまだ生き続けると信じていた私たち。いつもそばにいたのに、どうしてわからなかったでしょう」
 「20回近くの抗がん剤の治療、骨髄移植、全てをクリアーしたあなたのいのちに対して、なんて傲慢だったのでしょう」
 「本当にごめんなさい」
 「春になりました。桜が満開です。車いすで桜見物をする予定でしたね。
 これから、何回悲しい桜を見ることでしょう」
 「いつか悲しみが癒される日がきたら、あなたの好きだったお酒を持って、夜桜を見にいきましょうね。必ず、、、」』

 と表題に書いて、そして、ご主人の日記はずっと続くのですが、これは「同治」です。
 添っていく。

 「頑張れ、頑張れと励ましてきたつもりだったけれども、間違いだった」
 「あなたの辛さを本当は」
 「何もわかっていなかった」
 「がんばて生きて」という代わりに、「辛いね、辛いね」と言って、「抱きしめてあげればよかった」
 「ただそれだけでよかったんですよね」
 と、告白をされておられます。
 そのご夫人もですね、それからちょうど三年後のですね、3月26日ちようど桜の花が満開の時にですね。
 52歳でご往生なさっております。
 「がんばれ、がんばれ」の「対治」ではなくて、「辛いね、辛いね、」「同治」の心で、ご主人に寄り添うていけばよかったと、一年経って反省しました。
 こういうメッセージを送っていらっしゃるんです。
 最初、話をはじめます前に、ご讃題をいただきました。
 そのご讃題の中にも、
 「如来にょらいは、 なやくるしんでいる わたくしを、 そのまま きとめて、 けっして てる ことがない。」
 とありましたように、仏さまの心は、私の全てを ありのままに受け止めてくださる「同治」の心と言われます。
 「そのままでいいよ、がんばらなくてもいいよ」
 「私は、あなたといつも一緒に居るよ」「いつでも、どこでも、私の中に、終始寄り添ってくださる。これが「南無阿弥陀仏のお心」であります。』

【本願寺鹿児島別院 YouTube常例法座で、片岡 哲英師(鹿児島県南さつま市 光明寺)のご法話。
 「がんばって、の代わりに」という題のご法話より聞書き、文責、住職】 

 奥さんの亡きご主人に対するメッセージが、心がこもっていて、切々としていて、心にしみる思いがします。
 私も、僧侶という仕事柄、通夜、葬儀、四十九日等、家族の死という厳しい現実に直面している方々に面することが多いです。
 この片岡 哲英師のご法話を聞いていると、今までの自分の態度、言行に対して、遺族は知らん顔しておられただけで、実は色々と問題ある態度で 接していたのではないか? 
 家族や、身近な人を見送る気持ちは、当事者でなければ分からないものがありますよね。
 やはり、自分が経験したことがないことは、想像することしか出来ないのだと。
 だから、自分が分からないことに対しては黙っていればいいのでしょうか?
 
 片岡 哲英師は仏さまのこころを
 「私は、あなたといつも一緒に居るよ」「いつでも、どこでも、私の中に、終始寄り添ってくださる。これが「南無阿弥陀仏のお心」であります。」
 と言われています。
 まさに『阿弥陀さまの「喚び声」(よびごえ)』
 「恥ずかしや 仏を遠くに眺めしに 南無阿弥陀仏と 日々に対面」(那須 行英師)ですね。

 『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称名』


 ☆☆法語☆☆      
                                                 
                           
弥陀の本願決定成就して、 
極楽世界を荘厳したてて、   
御目を見まわしては、 
わが名を称うる人やあるかと   
ご覧じ、 
御耳をかたむけては、 
わが名を称うる人やあるかと、   
夜晝(よるひる)つねにきこしめ   
さるるなり。  
一称も一念も阿弥陀仏にしられず 
ということなし。   
弥陀は名をもって物を摂したもう。    
これをもって耳にきき口に誦すれ   
ば、無辺の聖徳識心に攬入  
(らんにゅう)す。  
永く仏種となりて、
頓(とみ)に億劫の重罪を除き、  
無上菩提を獲証す。  
  


ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌

最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。

「今ここでの救い」

 念仏ねんぶつおしえに あうものは、いのちを えて はじめて すくいに あずかるのではない。 いま くるしんでいるこの わたくしに、 阿弥陀如来あみだにょらいねがいは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人しんらんしょうにんおおせになる。
 信心しんじん さだ まるとき 往生おうじょうまた さだまるなり
 信心しんじん いただくそのときに、たしかな すくい にあずかる。 如来にょらいは、 なやくるしんでいる わたくしを、 そのまま きとめて、 けっして てる ことがない。 本願ほんがんの はたらきに あう そのときに、 煩悩ぼんのうを かかえた わたくしが、 かならほとけになる さだまる。 くるしみ なや人生じんせいも、 如来にょらい慈悲じひあうとき、 もはや、 苦悩くのう のままではない。 阿弥陀如来あみだにょらいいだかれて 人生じんせいあゆみ、 さとりの 世界せかいみちびかれて いくことになる。 まさに いま、 ここに いたり とどいている すくい、 これが 浄土真宗じょうどしんしゅうすくいである。






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