2021年3月 第113話

朝事*住職の法話

はらの底からお念仏」
     
 彼岸の候となりました。彼岸について書かれた文章を紹介させていただきます。
 
『彼岸について
 彼岸会ひがんえとは、春分の日、秋分の日を中心にして、前後一週間行なわれる仏事であります。
 では、日本ではいつからはじまったのかといいますと、明瞭にはわかりません。
 それで昔から聖徳太子の時代、聖武天皇の時代からだという説もありますが、記録で明らかなのは、桓武天皇の延暦二十五年二月十七日(806)の大政官符に、 五畿七道に彼岸会を営むべきことを布告してあります。
 だから、平安朝のはじめから一般に行われていたことは明らかであります。
 ただ、それがいつごろまでさかのぼれるかが問題であります。
 また、この仏事は日本だけのものだと考えられています。
 それは鎌倉時代に宋から来朝した大休禅師の語録のなかに「日本の風俗に、春二月、秋八月に彼岸の修崇あり」とあって、春秋二季の彼岸は 中国では行われていないような文章があるので、中国に行われず日本だけの仏事だとも考えられているのであります。
 しかし、これはもう少し中国の仏教行事をしらべらければ、その結論はでないのではないだろうか。
 善導大師(612~681)の『観経疏』のなかの「定善義」のはじめに、日想観を行うには「冬・夏の両時を取らず、ただ春・秋二際をとれ、その日は正しく 東に出で、直ちに西に没す」とあります。
 だから中国の善導大師の時代には、日想観は春分と秋分の日に行われたもののようであります。
 大休禅師は五百年も年代がたっているから、その時代には中国では行われていなかったのかもしれません。
 では、なにゆえに春秋の時期に、こうした仏事が行われたのであろうか。これは善導大師の文にも明らかなように、正しい西方を知るに便利であり、 西方阿弥陀如来の浄土をおもうにつごうがよいからでありましょう。

 だから、阿弥陀如来の浄土を観ずることからおこったものと考えるのは有力なものの一つでありましょう。
 彼岸会は、本願寺では蓮如上人の時代にも行われていたが、それが盛んになったのは、第十四世の寂如上人の時代からで、上人は覚如上人の『報恩講式』にならって 『讃仏講式』をつくって、彼岸会に拝読するならわしとなったようであります。
 だから、明治九年から本願寺派では、彼岸会のことを讃仏会といっていましたが、昭和二十一年からまた彼岸会というようになりました。
 彼岸については、仏教では「彼岸に到る」という意味でハラミッタすなわち六度万行のことだというていますが、文字そのものは、此岸に対して浄土の彼岸 であり、 穢土えど此岸しがんに対して浄土の彼岸であります。
 だから、涅槃ねはんとも仏果ぶっかとも 理想とも未来とも、いろいろの考え方がありましょう。
 その点で、彼岸会の間に彼岸にいる方がたのことを想うということも、彼岸にあっては、ふさわしいことだと思います。
 この意味では、彼岸にあたっては念仏、すなわち仏(彼岸)を念うことが、もっとも大切なことではないでしょうか。
 しかし、その彼岸である仏は、彼岸にありながら常に私の 此岸しがんに来ており、私をつつんでいてくださるのであります。
 彼岸は此岸と関係のないものではなく、彼岸でありながら此岸の根底に動いていてくださるのであります。
 阿弥陀如来は、彼岸の浄土にいながら、その光明はどこにでもはたらく(光明無量)ものでありますから、いつも此岸に来ているといえます。
 これだから仏を如来(真如からあらわれ来たもの)というのであります。

 彼岸をおもう、念仏するということは、仏はいつも私と一緒にいて、常に護っていてくださることを思うことであります。
 彼岸とか未来のことというと、現代の人びとは、此岸の現実生活と関係がないように考えやすいのでありますが、彼岸は此岸と深いかかわりがあるものであります。
 現代の心理学では、将来の希望の大きさと、現実の心の豊かさとは正比例するといわれるそうです。
 それは未来の必定というものが、いつも現在の心をささえているものであります。
 私はよく土曜と日曜とのお話をするのでありますが、それは土曜は現実には仕事をしていても、明日が休みだと思うと心が明るくなりますが、日曜の午後などは、 現実には体はやすんでいるのだが、明日からまたと思うと心が重くなってくるのであります。
 これは心の明るさには、現実の問題よりも、次に来ることが大きな問題となることをあらわすものではないでしょうか。
 私たちがどこかへ出かける場合、先方の仕事によって途中のこころに大きな影響があるのであります。
 これには時間の問題として深い意味があるのでありますが、いずれにしても、来る日の明るさが今日の日に大きなかかわりのあるのは事実であります。
 彼岸は此岸にはなりません。彼岸はあくまでも彼岸でありながらつねに此岸にはたらき、此岸を動かしているのであります。
 彼岸の間にはなくなった方がたを思うと同時に、浄土のこと、如来のことを思うて、現実生活を明るくしたいものであります。』
 (「ほのかなるともし火」桐渓順忍 教育新潮社より抜粋)

 皆様にとられまして、「浄土に先立っていかれた方がた」という言葉を聞いて、連想する、思い浮かぶ方がおられますか?
 親鸞聖人が浄土真宗の教えを説いてくださったおかげで、親鸞聖人亡き後も、ずっとお浄土に往生する人たちが絶えなかった。
 親鸞聖人の御恩は計り知れないものがあります。
 少し昔の話になりますが、 昔、播州ばんしゅうに、だし雑魚を行商していた信者がおられた。
 その人は無学だったが、親鸞聖人の書かれた根本聖典の「教行信証」を常に持ち歩き、 天秤棒てんびんぼうを片手に、だし雑魚の行商をしながら、この人なら文字を知っていると思われる方に、 「教行信証」の字を聞いて、意味を教えてもらいながら、自分でも、その意味をよく考え、楽しく念仏生活を送っていたという逸話を聞いたことがあります。
 考えてみれば、現代は学校で文字を習い、本を読むことが出来ます。
 本も昔と違って製本技術がしっかりしていますから、本も頑丈で印刷も良くて、大変読みやすくなっています。
 昔から考えたら、随分と 聖教しょうぎょうを読むことが出来易い、大変恵まれた時代になったと思わずにおれません。
 先日、古い仏教書を読んでいましたら、読む端から、紙がバラバラと破れ続け、解体していき、セロテープで補修しても対応できなくなり、しばらくは 頑張って読み続けたのですが、結局は、同じ本を古本屋で探して買い求めたことであります。
 昔の本は紙の質も、現代とは全く違うということを思い知らされると同時に、今は、本を読むのに、大変恵まれている時代なんだなあ!と 身に染みて、気付かされた次第です。

 私は、この信者のことを思いますと、情景を想像しますし、何か懐かしい感じがし、自然と慕う気持ちが湧いてきます。
 何が、その人をそういう行為にまで駆り立てたのか?そんなことを思ったりします。
 私もこの信者を見習い、聖教しょうぎょうに学びたいと思います。
 「仏法聴聞」とは、「常に、如来さまの声を聞いていくこと」であると言われます。
 如来様に、「これはどういう意味でございましょうか?」と聞いていきたいのであります。
 親鸞聖人の書かれた浄土真宗の根本聖典に「教行信証」という書物 、聖教しょうぎょうがございます。
 この聖教しょうぎょう等について、「ほのかなるともし火」桐渓順忍師の本を 参考にして、少し学んでいきたいと思います。
 「教行信証」の内容は、「釈尊の教え(教)にしたがって、名号(行)を信じて(信)証果(さとり)をひらく(証)ことを説くものであります。
 私たちにとっては、名号を信ずれば、願力の自然のはたらきで成仏することができるのだから、名号を信ずることが最も大切なことになるのであります。
 「教行信証」の中にある「正信偈」のはじめに「帰命無量寿如来、南無不可思議光」とあります。
 「帰命」はインド語では「ナモ」であり、「無量寿如来」も「不可思議光如来」も阿弥陀如来のことであります。
 だから、この二句はインドのもとの言葉になおすと「南無阿弥陀仏」となるのであります。
 しかも、この二句は、「正信偈」に説かれた全体の意味をしめされたものであります。
 「正信偈」は「南無阿弥陀仏」のいわれを説かれたものとみるべきでありましょう。
 その南無阿弥陀仏のいわれを聞くことが「正信偈」に聞く最も大切なことであります。
 南無阿弥陀仏の名号とはなにか?
 この名号は一切の 功徳くどくのおさまったものだともいわれます。これをどう味わうか?どう理解するか。
 南無阿弥陀仏はインドの古い言葉であって、中国に仏教が伝来してからも、誰れが定めたということなしに、インド語のままで伝えられて、 中国語には 翻訳ほんやくしない習わしになっております。

 ナモという言葉、「南無」の語を中国語の翻訳すると「帰命」「救我」の意味だと吉蔵(569~623)はいい、その意味は「命をもって十方の諸仏に帰投するなり」 といっています。
 天台の智顗は「慚愧、懺悔、命をもって自帰す」と説いています。
 これは「帰命」の命を「生命」の意味で解釈するもので、「帰命とは生命を賭して願うこと」の意味になるのであります。
 この解釈は日本においても、伝教大師最澄などによっても用いられている、帰命の一般的な解釈であります。
 それが中国の賢首大師法蔵にいたって、帰命に二つの解釈があることを示し、一つには、在来の解釈と同じく、生命の意味として 「己身の生命をつくして三宝に帰向することである」とし、二つには、命を「教命」と解釈して「帰はこれ敬順の義、命はいわく諸仏の教命である」 と解釈されたのであります。
 この帰命の意味からうかがうと、南無阿弥陀仏とは、「阿弥陀如来の仰せ(おおせ・教命)にまかせる(帰順)」の意味と理解されるようになったのであります。
  親鸞聖人しんらんしょうにんは、この第二説をもちいて、帰命と信心とは、 まったく同一のものだとされたのであります。
 浄土真宗においては、南無阿弥陀仏と称える 称名しょうみょうは「阿弥陀如来の仰せ(おおせ)にまかせる」と申し上げる意味となり、その仰せとは、 「われ汝を救う」という内容でありますから、「お救け(お助け)のことは、すべて阿弥陀如来の仰せ(おおせ)におまかせします」ということになるのであります。
 そこに「ありがとうございます」というご恩報謝の意味も含まれているのであります。
 その意味では、 称名しょうみょうは、如来の仰せ(おおせ)にまかせた信心の表現であるというてよいでしょう。
 ただし、自分の心にはからい心がおこったとき、自分ではからってはいけない、「阿弥陀如来の仰せ(おおせ)にまかせる」ものだよ、と自分にいうて聞かす 称名もあってもよいでしょう。

 しかし、親鸞聖人の 称名しょうみょう観の特色は、帰命を本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)とされたところにあります。
 私の称名は如来のよび声が、私の口を通して出て下さるのだという思想になったのであります。
 ここに称名念仏の考え方に、大きな変化を起こしたのであります。
 「帰命」とは「自分にまかせなさい」という如来の仰せ(おおせ)だということになりますと、南無阿弥陀仏ということは、阿弥陀如来が 「往生浄土のことは、私にまかせなさい」という、如来の仰せ(おおせ)となるのであります。
 このように味わってくると、称名・念仏とは、私が如来に向かって「仏になることは、あなたにおまかせします。ありがとうございます」という報恩の念仏か、 私の口を通して「仏になることは、この阿弥陀仏にまかせなさい」という、如来のお呼び声かの二つの意味となるのであります。

 しかも、念仏を信ずるという場合は、むしろ、如来の呼び声なのであります。
 「名号を信ずる」といいますが、その信ずるとはどういうことであろうか。
 親鸞聖人は信心については色々な表現をされていられます。その中に、 「信ずるということは聞くよりほかはない」(信即聞)と言われる表現があります。信心の性格を最もよく表しているようであります。
 信ずるということは、南無阿弥陀仏のいわれ、私の往生成仏することは、ことごとく阿弥陀如来のお手もとに成就されていることを聞くほかはないと 大瀛(だいえい)(1759~1804)は説かれています。
 信心と言うと何か私の心の状態のように考えられやすいのであります。もちろんそうした意味もありますが、浄土真宗の信心とは、 阿弥陀如来の本願・名号のいわれを聞くほかはないと説かれるのであります。
 しかも、聞くということは、自分のはからいを加えないで、向うからくるものを素直に受け取ることであります。
 お茶人の間に「味を聞く」という言い方があります。「味を見る」のと、「味を聞く」との区別は、どこにあるのでしょうか?
 これは心の態度の違いではないでしょうか。
 「味を見る」というのは、自分から味の濃淡を調べる態度であり、「味を聞く」というのは、味そのもののうったえてくる濃淡を聞きとる態度でありましょう。
 だから、聞くというのは、ただ自分をむなしくして、向うから来るものを素直に受け取っていくことでありましょう。 
 しかも、聞くということは、たんに耳から聞くだけではなく、目からも、鼻からも、身体でも聞くのであります。
 ものを聞くことによって、相手の言う意味が十分わかり、また、自分の聞き方に誤りがあった場合にも、それを正して頂けるのであります。
 その点は、不審に対しては十分聞きただすことは必要であります。
 
 「正信偈」に聞く場合は、他の人に聞くのではなく、「正信偈」に聞くのでありますから、色々な問題をもって聞くべきでありましょう。
 そうして、その問題に対して「正信偈」の答えを聞いていくべきでありましょう。
 文の内容から言えば「大無量寿経」によって、阿弥陀如来が私を救うために、いかに苦労されたか、釈尊はいかに力強く阿弥陀如来の教えを すすめられたかを聞くべきでありましょう。
 又、七高僧がいかに熱心に念仏をすすめられたかを聞くべきでありましょう。
 「正信偈」からは、私が救われるのは、絶対他力によるものであり、無条件の救いであることを聞きとるべきであります。
 絶対他力とは、救いの成立には、自力的なものを無限に否定することであって、どんなわずかなことでも、自力は否定するものであることを示すものであります。
 如来の大悲は、無縁の大悲であるから、いかなる衆生をも無条件で救うものであります。
 私たちの浄土に往生して成仏することは、まったく如来の一方的な活動によるものであります。
 そのことを聞くのが念仏でありましょう。
 念仏とは「仏を おもう」という意味であります。
 だから、称名念仏というが、如来の広大な慈悲を おもいながら称えるところに、称名が念仏といわれる意味があるのであります。
 「仏を おもう」それはわたしが仏をおもうのではなく、仏に おもわれることであり、仏から呼びかけられることで、私は ただそれを聞くだけであります。 
 「正信偈」に何を聞く、それは如来大悲のお呼び声を聞くことでありましょう。
 (「ほのかなるともし火」桐渓順忍師 を参考に書かせて頂きました。)
    
 このように、「南無阿弥陀仏」一つを取り上げましても、深い いわれがあることであります。
 しかし、ここに取り上げさせて頂きましたのは、私の称えさせて頂いている念仏の喜びの源泉を追求したいと思ったからです。
 蛍光灯の電気のスイッチを入れたら、灯りがつくのは、そこに電気が届けられているからですよね。
 電源まで電気が既に届いているから、スイッチ一つで灯りが点ることが可能なのですよね。
 私の念仏も、光明無量・寿命無量の阿弥陀様の本願力という源泉から、今、ここに、私のところまで願力が届けられているのですよね。
 日々 煩悩に苛まれている煩悩だらけではあるけれど、勿体ない事に、阿弥陀如来さまの救いの働きが、南無阿弥陀仏の念仏となって、変わることなく働いて下さる。
 親鸞聖人の書かれた和讃には、次のように説かれています。
 「おてらじかん」という冊子を参考にして説明させて頂きます。
(「おてらじかん」~Stay Houwaより 広島青年僧侶春秋会)
 「煩悩に まなこさえられて  摂取せっしゅの光明みざれども
 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり」 
 とあります。
 阿弥陀さまの大いなるお慈悲は、決して飽きることなく、怠ることなく、嫌う事なく、見捨てることなく、いつもこの身に寄り添い続けていて下さいます。
 阿弥陀さまの大いなる慈悲は、いつでも、どこでも、どんな時でも、悲しい時も、辛い苦しい時も、決して一人にはさせないと、 絶えることなく、共に歩んで下さるのです。
 「あなたと共に歩む仏は、ここにいるよ。」と、阿弥陀さまは、今・ここに「南無阿弥陀仏」と至り届き、そこに居場所と安心を下さるのであります。
 阿弥陀さまのお慈悲を、私のためであったと聞かせていただくところに、わが身の姿を知らされ、お念仏申す身へとお育て頂くのです。
(「おてらじかん」~stay Houwaより 広島青年僧侶春秋会)
  
 「おてらじかん」とい冊子の中の法話「のぞいてみんさい」という題の話を紹介させて頂きます。

 《のぞいてみんさい》
(「おてらじかん」~Stay Houwaより 広島青年僧侶春秋会)
 
 昔、広島の呉に、お念仏を どころに 生涯を生き抜いた一人のおばあちゃんがおった。
 明治の生まれで、大正、昭和と戦前戦後の厳しい日本を経験された、若い頃からお寺に参ることが生きがいで、あちこちのお寺で お聴聞ちょうもんされていた。
 生涯お念仏を腹の底からよろこばれた方だった。・・・・・
 身寄りがなかったおばあちゃんは、介護施設で晩年を過ごされた。ある日、幼い住職が母に連れられ、その施設へお見舞いに行った時のこと。
 「ようたのぉ。ほぉ、ぼっちゃんも一緒か」と出迎えてくれ、たわいもない話に花を咲かす。 
 「歳を取ると思うようにいかんようになったわい。わしもそろそろお浄土かのぉ」
 けれど、その表情に悲壮感は全くない。
 「腰も痛いし、足もすぐには動かんが、阿弥陀さまに手を合わせることは若い頃と同じようにできるんよ」とニコニコしながら、 腕輪念珠うでわねんじゅに手を通す。
 施設にはお仏壇こそないけれど、 腕輪念珠うでわねんじゅを手にかけては、朝な夕なにお念仏申されていた。
 その 腕輪念珠うでわねんじゅは、一番大きな たま、  親珠おやだまの穴をのぞき込むと、そこに阿弥陀さまのお姿を見ることができるのだが。
 「最近のぉ、この穴から見えとった阿弥陀さまがおらんようになったんよ」と、 腕輪念珠うでわねんじゅを外しながらおっしゃられる。
 「ほれ、ぼっちゃん。この穴、のぞいてみんさい」と言われたので、その小さな穴をのぞきこんでみると、確かにいつも見えていた阿弥陀さまの姿が そこにはなかった。
 
 「ほんまじゃ。お母さん、おらんよ」と言って母に渡す。すかさずおばあちゃんは、
 「あのねえ、ぼっちゃん。阿弥陀さまがこの念珠から、わしのここに来んさった」と、胸をポンポンと叩きながら嬉しそうにおっしゃった。
 「じゃけぇ、もうそこにはおらんのよ」
 母もうなずきながら、「ほうじゃねぇ。阿弥陀さまは私たちの中でいつもご一緒しておられるね」と言った。
 「ほうじゃのぉ。阿弥陀さまに全ておまかせじゃ。ナンマンダブ、ナンマンダブ・・・・」

 親珠おやだまの中にある阿弥陀さまの絵が がれただけであると、理屈で説明することは簡単だ。
 けれども、そこには理屈を超えた世界があったのであろう。
 こんな風におばあちゃんは、どんな時も、この身に届いた阿弥陀さまのはたらきを どころとされ、安心の中で 生きていかれた。
 
 必ずいのち終わっていかなければならない、という大きな苦しみを抱えている私たち。自分一人では、それをどうすることもできない私たち。
 そんな私たちに、阿弥陀さまは 「われにまかせよ」と び続けてくださっている。  
 その び声を 親鸞聖人しんらんしょうにんは、 「本願招喚ほんがんしょうかん勅命ちょくめいなり」とお示しくださった。
 不安を抱え苦しむ私の姿をご覧になられた阿弥陀さまは、そんな私を すくいたいと願われ、「南無阿弥陀仏」となられた。
 それは「あなたを浄土に参らせ、必ず仏にする」というお誓いであり、「我にまかせよ」と私を ぶ、 おび声である。
 その阿弥陀さまの おび声が、今、体中に入り満ちて、この口よりお念仏となってこぼれ出てくださる。
 「あなたを すくう仏はもうすでに、あなたの元まで来ておるぞ」と、私たちのいのちに寄り添って・・・。
  
 おばあちゃんは最期まで、そのお念仏をよろこばれ、ご往生された。
 そしておばあちゃんは、今はお念仏となり、私たちを導いてくださっている。
 おばあちゃんのご往生から四半世紀が経ち、幼い頃の思い出を胸に、少年は住職となった。
 住職がご法事などへお参りに行くと、幼い子どもたちが小さな手を合わせ、「ナンマンダブ」と、お念仏を となえている姿がある。
 たとえ会ったことはなくとも、先にお浄土へと参られたその方がお念仏となって、導いてくれているのであろう。
 眼には見えないけれど、確かにそこには、お念仏を通した尊いいのちのつながり、「ご縁」がある。
 阿弥陀さまは、あの 腕輪念珠うでわねんじゅの中に留まることなく、今日も私たちのこの身にはたらき続けておられる。
(※「本願招喚ほんがんしょうかん勅命ちょくめい
→「招喚しょうかん」とは、阿弥陀さまが私を招き び続けてくださっていることで、 「勅命ちょくめい」とは、取り消されることのない絶対的な仰せ(おおせ)、という意味です。 
 親鸞聖人は「必ず すくう、我にまかせよ」という阿弥陀さまの おび声を、 「本願招喚ほんがんしょうかん勅命ちょくめい」とお示しくださっています。)
 
(「おてらじかん」~Stay Houwaより 広島青年僧侶春秋会) 
 
 この呉のおばあちゃんも、 昔、播州ばんしゅうにおられた、だし雑魚の行商しながら、親鸞聖人の書かれた根本聖典の「教行信証」を 常に持ち歩きながら、文字を読める人たちに「教行信証」の字を聞き、その意味を教えてもらいながら、楽しく念仏生活を送っていた信者の方にしろ、 自分が亡くなった後、こうして、私が感動することなど、夢にも想像されなかったことでしょうね。
 私は、顔も見たことがない人、名前も知らない人から、時間も空間も超えて、今、お念仏のつながりを通して出会わせて頂いている。
 考えてみれば、不思議なことですよね。
 ある御講師が「浄土真宗は、無我の中に広まっていく、実に不思議な宗教なんですねえ。」と言われていた。
 その時は、何のことを言われているのか、分からなかったけれど、今、私が、時間・空間を超えて、この呉のおばあちゃんや、 播州ばんしゅうの信者と、お念仏のつながりの中で、こうして出会い、感化を受けたりしている事実、 こんなことを、「無我の中に広まっていく不思議」と言われたのかなあー?と思うのですが? 称名 
 
 『ご清聴頂きまして、有り難うございました。 称名』


 ☆☆法語☆☆      
                                                 
                     
 
*仏法のこと、わが心にまかせず嗜め    
との御掟なり。心にまかせては、   
さてなり。すなはち心にまかせず    
嗜む心は他力なり。 
*万事につけて、善き事を思ひつくる  
は御恩なり。悪しき事だに思ひ捨て   
たるは御恩なり。捨つるも取るも、   
何れも何れも御恩なりと云々。  
*かかる懈怠多くなるものなれども、 
御助けは治定なり。   
有難や有難やと悦ぶこころを、   
他力大行の催促なり。  
【蓮如上人】  
   


ようこそ、お聴聞下さいました。有難うございました。合掌

最後に、本願寺が作成した「拝読 浄土真宗のみ教え」の一節を味わわせて頂き終わらせて頂きます。有難うございました。

「今ここでの救い」

 念仏ねんぶつおしえに あうものは、いのちを えて はじめて すくいに あずかるのではない。 いま くるしんでいるこの わたくしに、 阿弥陀如来あみだにょらいねがいは、 はたらきかけられている。
親鸞聖人しんらんしょうにんおおせになる。
 信心しんじん さだ まるとき 往生おうじょうまた さだまるなり
 信心しんじん いただくそのときに、たしかな すくい にあずかる。 如来にょらいは、 なやくるしんでいる わたくしを、 そのまま きとめて、 けっして てる ことがない。 本願ほんがんの はたらきに あう そのときに、 煩悩ぼんのうを かかえた わたくしが、 かならほとけになる さだまる。 くるしみ なや人生じんせいも、 如来にょらい慈悲じひあうとき、 もはや、 苦悩くのう のままではない。 阿弥陀如来あみだにょらいいだかれて 人生じんせいあゆみ、 さとりの 世界せかいみちびかれて いくことになる。 まさに いま、 ここに いたり とどいている すくい、 これが 浄土真宗じょうどしんしゅうすくいである。






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