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「報恩講法要」
『報恩講法要』について 
『報恩講法要』が、平成30年11月21日【水】昼席・夜席~22日【木】昼席、光西寺にて、行われました。

講師 朝枝 暁範【本立寺】より、仏様の尊いみ教えを聞かせて頂きました。有難うございました。合掌


「皆様には、ようこそお参り下さいました。有り難うございました。
 御講師様には、尊い仏縁を頂きまして、有り難うございました。称名

 先日12日にお磨き【仏婦】、駐車場の草抜き【仏壮】をして頂き、清々しい中で、報恩講法要を迎えることが出来ました。

山木路子【仏婦会長】より、もみじ饅頭、光西寺仏婦から、ミカン等、その他、色々のお供えして頂きました。

 有難うございました。美味しいお弁当でした。

 䑓井邦明氏より沢山の里芋の寄贈をして頂き、11月22日午前に、仏教婦人会の皆様により、芋汁をつくっていただき、皆で美味しく戴きました。

 お陰様で、今年も充実した報恩講法要を無事に修了することが出来ました。深く感謝申し上げます。お疲れ様でした。合掌 」

☆☆仏様の教え☆☆ 

*生きていることは、生かされていること、「生かされている今日の一日」

*花が咲くのは根っこがあるから、根っこが見えないから「当たり前」になっている。

根っこの働き、根っこの「お陰に感謝する」ことを忘れている。

*「咲いた花見て喜ぶ前に、咲かせた根っこの恩を知れ。」

仏様という根っこの働きのお陰で、今、私は「南無阿弥陀仏」と念仏を称えている。

*仕事をしながら、お念仏するのではない。お念仏しながら仕事をする。お念仏の ぬしになって下さいよ。

*眠れぬ夜を嘆く人は多いけれど、目覚めた朝を感謝する人は少ない。

今日も一日頂いた命を生きているなあーと手を合わす人は少ない。

*村上志染むらかみしせんという方の詩に「みずすまし」という詩があります。

「みずすまし」

 にごれる 水辺みずべ   方一尺ほういしゃくの天地

 みずすまし しきりに円を描ける

 なんじいずこより来たり

 いずこに旅せんや

 へい 忙しゅうおましてな!

        【「みずすまし」村上志染】



 昨日も今日もくるくる回っている。円を描いている。

「みずすましさん どこから来たの?これからどうするの?同じ円を描いているけれど、それでいいのかい?」

 その問いに対して、みずすましが答えたのに「へい 忙しゅうおましてな」と。

「あなたに一々言われるまでもない、私の勝手でしょう!」

 この「みずすまし」は、他でもない私のことではないか?

朝ごはん食べて昼ごはん食べて夕ご飯食べて、あてもなく、ただただ毎日、同じことを繰り返している私のことではないでしょうか?

 これを「虚しく過ぐる」と言う。

 虚しく、あてもなく、同じことの繰り返し、、、、。

 人間に生まれた喜びに目覚めることも、仏法に出会えたことの喜びも、この詩の中には感じられません。

 これは私自身への嘆き節のような言葉です。

 「迷いの中で過ごすなよ。そのままでいいのか?」

 厳しくもあり、温かい言葉でもあります。

循環彷徨じゅんかんほうこう」と言います。 

 循環じゅんかんとは、同じところをぐるぐる回るということです。

 彷徨ほうこうとは、「さまよう」ということ。あてもなく、、、。

 砂漠の中で、二百メートル歩いて貰う、すると、本人はまっすぐ行っているつもりでも、少しズレているものであります。

自分は真っすぐ歩いているつもりでも、ズレていく。この繰り返しです。

 段々歩いていくと、少しズレているから、元に帰ってしまうとか。

 これが、「循環彷徨じゅんかんほうこう」目的地も現在地も分からない。

 これがあなたの人生ではないんですか?と問いかけている詩が「みずすまし」という村上 志染さんの詩であります。  

 これらの話は、私の迷いを教えているものであります。
 
 「右往左往うおうさおう」ということです。

 「やがて行く道を知れよ。」

 これが仏教の喜びであり、大切な味わいであります。


 「行き先が分かると、行き方がわかる。
  往き先が分かると生き方が分かる。」

 「明日は本願寺へ行くと決まったら、高速道路で行くか、新幹線で行くか分かるじゃないですか。」

 先が分かると今が分かるということです。

 目的地が分かると現在地が分かるということです。

 その次が、 仏法聴聞ぶっぽうちょうもんです。

 「死んだらどうなるの?」これが分からないまま終わる、、。

 これを「迷い」と言います。

 「娑婆しゃばの縁が尽きれば、お浄土に 往生おうじょうして、仏と成らせて頂く。」

 往き先が分かると生き方が分かる。

 毎日の生活に尊い味わうが出てくる。
 
 メリハリのある念仏生活が現われてくる。             

 「行き先がわかる」のは「人生行路」 

 「往き先が分かる」のは「念仏生活」
 
 要は、「目的地」と「現在地」この二つをハッキリしよう。
 
 やなせ たかし さんの「アンパンマンのマーチ」の歌詞はいいです。

 「なんのために生まれて なにをして生きるのか 

 こたえられないなんて そんなのは いやだ」

 「なにが君のしあわせ なにをして よろこぶ 

 わからないまま おわる そんなのは いやだ」
 
 この歌詞の中に、目的地、現在地を探している。

源信和尚げんしんかしょうの 「往生要集おうじょうようしゅう」にも有難い言葉があります。

 「宝の山に入りて 手を空しくして 帰ることなかれ」
            【「往生要集」源信】

 「宝の山」とは「人間に生まれて」という意味です。

「手を空しくして帰る。」とは「仏法に会わずして、それで終わるのかい?」という意味です。
 
 せっかく人間に生まれたんだから、すごい確率で人間に生まれたのに、それを有難いとも、何とも思わないまま、仏法に会わないまま、娑婆の縁が尽きる。 それはないよ。

 「今日の歩みを整えていこう。必ずお浄土に生まれて仏と成る。」

「今」「これから先」を大事に、明確にして下さる。

 「現在」「一人称」「単数」

『今 必ず仏と成ることに すでに定まった 正定聚しょうじょうじゅくらいに定められている』  合掌 
 

食事のことば 

食事のことば【解説】  

☆住職の長男 長上 朋史【おさがみ ともふみ】が、平成30年3月より、お寺の仕事をお手伝いさせて頂くこととなりました。
 皆様の月忌参り【がっきまいり】のお勤めに参るかも知れません。
 皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。

 ☆夜席の法座は、外ではなく、静かに自己の内面を見つめ、
 目に見えませんが、仏様に遇わせて頂いているという感じがします。
 どなたでも、どうぞご遠慮なく、夜席の法座にもお参り下さいませ。
 一日の営みを終え、静かに、共に仏様の命に遇わせて頂きませんか。

☆梵鐘【ぼんしょう】の用語解説→梵鐘【ぼんしょう】は「集会鐘(しゅうえしょう)」ともいい、法要や儀式を開始するに先立って、大衆が参集する合図として 三十分または一時間前に撞く。打数は十打とし、各間隔をゆっくりあけ、余韻がかすかになってから次を撞き、 最後の二打は少し間隔を早めて撞く。梵鐘は、法要や儀式以外(朝夕の時報など)に撞く場合もある。
☆喚鐘【かんしょう】の用語解説→ 勤行(ごんぎょう)や法会(ほうえ)などの開始を報じる小形の梵鐘(ぼんしょう)。半鐘。
 喚鐘は「行事鐘(ぎょうじしょう)」ともいい、法要や儀式の開始を知らせる合図として打つ。

打ち方は、適当な間隔で七打してから、打ち上げて打ち下し、次に五打してから再び打ち上げて打ち下し、最後に三打する(三打のうち第二打は小さく打つ)。



 行事の模様を、写真で紹介します。

『報恩講法要』御講師
朝枝 暁範師 
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『報恩講法要』 
喚鐘【かんしょう】 
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『報恩講法要』   ページの
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『報恩講法要』
「帳場」【受付】     
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『報恩講法要』      ページの
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『報恩講法要』
講師 朝枝 暁範師 
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『報恩講法要』 
講師 朝枝 暁範師 
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『報恩講法要』
「教章」斉唱 
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『報恩講法要』   ページの
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『報恩講法要』
「恩徳讃」斉唱 
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『報恩講法要』 
梵鐘【ぼんしょう】 
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『報恩講法要』       ページの
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『報恩講法要』
「里芋」䑓井邦明氏・寄贈     
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『報恩講法要』
「芋汁」 調理      
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『報恩講法要』
「芋汁」 調理     
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『報恩講法要』        ページの
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『報恩講法要』
「帳場」【受付】 
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『報恩講法要』
朝枝 暁範師      
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『報恩講法要』
「食事の言葉」説明       
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『報恩講法要』
「教章」斉唱      
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『報恩講法要』
「恩徳讃」斉唱       
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『報恩講法要』
長井 勝昭氏 挨拶       
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『報恩講法要』
食事の言葉       
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『報恩講法要』 
芋汁     
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